最近取材した医療研究者が言っていた。難病の治療法を臨床研究しているその人のもとには、メディアの報道などでその療法を知った患者やその家族から「治療を受けたい」との問い合わせがしばしばある。
臨床の資格要件や枠は狭いので、ほとんどの人には断らざるをえない。そうすると、たいていは「わかりました。がんばってください。早く薬になることを祈っています」と言って去っていく。
でもこのあいだ一人、違うことを言った患者がいた。「私に何ができますか」と、その人は聞いてきた。アメリカでの研究生活も長いその研究者によれば、日本ではとても珍しいことだという。
公的保険が完備された日本では、医療は「タダで空から降ってくるもの」だと人々は当たり前のように思っているようにみえる。
アメリカでは論文が出ただけで患者団体がファンドレイジング(資金集め)に動き始めるし、臨床研究を外れた人たちも寄付をしたり、せっせと地元の議員に手紙を書いたり電話をかけたりする。
新薬の治験にかかる膨大な費用を確保したり、役所の規制で臨床研究が遅々として進まないことに苦労している人々には、日本の医療受益者の「他力本願」的な姿勢が歯がゆく感じられることがあると、別の医療関係者も言っていた。
当事者になる、なってもらうという問題。
津田大介氏のメルマガ『メディアの現場』最新号(vol.111)のインタビュー記事「浪江町の未来を照らす“ホプツーリズム”」も、そのことがテーマになっている。
記事で語るのは、福島第一原発事故で被災し、いまも仕事のかたわら外部向けに故郷・浪江町の視察ツアーを行っている「双葉不動産」の石田全史社長。
ツアーに参加したい人に、石田さんはまず「何のために来るんですか」と聞く。「ただ見たいだけ、見にきて終わりにするのなら僕らの時間を奪わないでほしい」と、はっきり伝えるという。
被災地を見せ物にしたくないから、ではない。浪江町への具体的な見返りを求めるわけでもない。
ツアーの際、石田さんは来訪者が住んでいる町と浪江町を照らし合わせて考えてもらうようなガイドをしているという。「みなさんお住まいの地域では避難ルートは確保されていますか」と問いかけるなど。
「浪江を見にきた人に、単に被災現場を『見ただけ』で終わってほしくないんですね。見たら責任が生じる。生じた責任は自分の地域で果たしてくださいね、と」と、石田さんは語っている。
戦争や事故・自然災害の被災地を「負」の記憶として風化させないというのは、たんに「過ちを繰り返さない」ための教訓を維持する装置にすることではない。
自分が属するコミュニティー全体になにかを還元するためのアクターの一人として当事者になることだ、ということがわかる。
当事者性とは、そのように「誰か」や「自分」からいったん離れてとらえて意識する習慣をもつということなのかもしれない。
先端技術を用いた環境配慮型の町づくりをめざしつつ、百年単位の廃炉作業にあたる原発企業の工業団地で町の財政を支え、元の住民と外からきた住民とあとから戻りたい住民が安心して暮らせる町。そして、そのように復興した町を観光してもらい、交流人口を増やす。
地元密着で、不動産業という実利にもかかわる立場から「ふるさとの土地」を扱い、震災後は避難住民の住居面のケアにも奔走してきた石田さんは、浪江町の未来像をそのように語る。
負の遺産を風化させないためのダークツーリズムと、ホープ(希望)ツーリムズがセットになると、インタビュアーの津田さんは定義している。
利己的でもなく利他的でもない当事者としてかかわりエンジョイできる、観光地としての福島をはやく見てみたい。私に何ができますか?
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