結局、サルコジは「負け戦」から抜けられなかった。4月22日の第1回投票はオランドが得票率28.63%で1位、サルコジは27.08%で2位。上位2人で争う5月6日の決戦投票の支持率ではオランド54.5%に対しサルコジ45.5%と、大きく差をつけられたままだ。ジスカールデスタンがミッテランに敗れた1981年以来31年ぶりの現職の敗北が現実味を帯びてきた。
サルコジの何が問題なのか。日本のメディアでは失業率の高止まりなどが低迷の要因と指摘されているが、それだけだろうか。サルコジが大統領に就任した2007年からの5年間でフランスの失業率は8%から9・4%に上昇した。同時期のドイツ(8・5%から5・6%に低下)に比べれば悪いが、イギリス(5・5%から8・4%に上昇)やイタリア(6%→9・2%)、アメリカ(4・5%→8・3%)に比べればマシなほうだ。
政策面での実績が乏しいわけでもない。サルコジはシラクよりもずっと多くの改革を実行したと、国立政治学院フランス政治研究所(パリ)で会ったパスカル・ペリノー所長は指摘した。「大学改革、議会の改革、組合交渉のルールや年金の改革も行った。ただし分散して行われたため、一貫した改革を行ったという印象を与えることができなかった」
5年前の選挙で人々がサルコジを選んだのは、彼の「もっと働き、もっと稼ごう」というスローガンに共鳴したからだろう。2002年に社会党政権下で制度化された週35時間労働制、2006年にドビルパン政権が提唱しながら強い抗議で葬り去られた雇用契約の改正案(26歳以下の若者は2年以内であれば理由なしで解雇可能にしようとした)。経済のグローバル化の波が押し寄せる中で、働かないことを美徳とする文化への疑問がふつふつと沸き上がっていた。
そうした期待に応えるための雇用制度や税制の改革をサルコジは行うことができなかった。2008年にリーマン・ショックが起きたからだ。ただでさえ失業率が上昇する中で、雇用の流動性を高めるような政策は封印せざるを得なかった。在任期間のほとんどを金融危機とユーロ危機への対処に奪われた点についてはサルコジに同情する声が多く聞かれた。イギリス、スペイン、イタリアなど、ヨーロッパではリーマン後に現職が責任を問われる形で政権交代が相次いでいることも事実だ。
(サルコジの選挙ポスター。見えにくいが MON CUL(ケツでも食らえ)と落書きされてある)
サルコジに決定的な失策はない。そのことをサルコジ自身が過信していたきらいはある。サルコジ陣営の一員であるティエリー・マリアニ運輸担当大臣は、サルコジが標榜するグローバル化への適応がフランスに必要なことには変わりはないと強調しつつ、サルコジの欠点は「敵を過小評価するところ」だと言っていた。社会党の期待の星だったストロスカーンがセックススキャンダルで失脚した時点で、選挙は楽勝だと高をくくっていた可能性はある。
パリで取材した人々が口を揃えて指摘していたのが、軽薄、傲慢、目立ちたがり、派手好き、無教養といった単語で形容されるサルコジのキャラクターに対する強烈な反感と嫌悪感だ。ペリノー氏は新著で国民の間の「サルコジ疲れ」を指摘している。「ハイパープレジデント」と呼ばれた斬新な統治手法、権力を集中して自らのパーソナリティーを前面に出すやり方にフランス人は辟易していると。ただし、サルコジは大統領になる前からそういう政治家だった。それを承知で選んだのはフランス国民だ。
そうした反サルコジ感情の広がりと深まりをオランドはよく理解していた。だから政策論争はせず、ひたすらスローガンの Le changement, c’est maintenant!(変化は今だ!)を叫び続けた。「有権者を怖がらせるのを避けてサルコジもオランドも財政危機やユーロ危機の話を表立ってはしなかった。国民が聞きたくない話はしなかった」と、経済紙レゼコーのセシル・コルナデ記者。オランドにとって敵はサルコジではなかった。反サルコジの中道票が民主連合のバイルや左翼線線のメランションに流れるのをいかに食い止めるかが重要だった。
つまるところサルコジは自分に負けたわけでも、オランドに負けたわけでもない。サルコジが敗れ去るとすればそれは、左派色の強い伝統的な価値体系に新自由主義をうまくブレンドした「フランスの新しいアイデンティティー」の構築をサルコジというアメリカンな指導者に託し、それに裏切られたと感じているフランス国民のご都合主義的な期待といまだに揺れ動く迷いによって退場を宣告されようとしているのではないかと思う。
パリで、1968年の五月革命からラングやオブリーやストロスカーンと政治活動を共にしてきた社会党幹部のエリザベート・ギグーに取材した。当然のことながらサルコジへの批判を並べたが、「リビアへの軍事介入などはリーダーシップを発揮して良かった」という前置きをつけた。社会党でさえ、国際政治の場でフランスが「大国としての強さ」を見せつけることは歓迎する。
フランス人のメンタリティーにはドゴール時代へのノスタルジーが染み付いており、グローバル化によってフランスの立場と国力が相対的に弱まることへの抵抗感が極めて強いと、現代政治研究所のペリノーは言っていた。政治的なグローバル化への反発が反EU政策や反移民政策を掲げる極右ルペンへの支持上昇につながり、経済的なグローバル化への不安が最低賃金の引き上げなどを掲げる左翼メランションの台頭をもたらした。
経済と政治の両面におけるグローバル化への適合と拒絶の間で揺れ動く感情が今回の選挙ではサルコジにノンを突き付けようとしているのかもしれない。ただしその二律背反がサルコジの浮沈を左右したとすれば、それはまたフランス国民がいつ再びサルコジ的なものを求めても不思議はないことを意味する。
メランションの得票率が第1回投票前の熱狂ほどには伸びなかったことで、決戦投票に向けては国民戦線ルペンの票がどう動くかに注目が集まるだろう。左右両派で最もスタンスが異なる移民政策で妥協の余地が少ないことを考えると、ルペン票が大量にオランドに流れることは考えにくいが、棄権票が増えるだけでもオランドを利することになる。サルコジの運命の日は近づいている。
※現象としてのサルコジがフランス政治に何をもたらしたかは、朝日新聞のパリ特派員、パリ支局長を歴任した国末憲人・朝日新聞GLOBE副編集長の著書『サルコジ マーケティングで政治を変えた大統領』(新潮選書)に詳しい。現代政治に関する読み物としても大変面白いのでお勧め。
※フランス人がサルコジをどう理解しようとし、どう定義づけようとしているかは、ペタン主義を介した分類と痛烈な批判を加えたフランス現代哲学者アラン・バディウの著書『サルコジとは誰か? 移民国家フランスの臨界』(水声社)が興味深い。