先週金曜日に与謝野馨・経済財政担当大臣の「神様の仕業」発言を知ったとき、 これはどう解釈したらいいのだろうかと頭が一瞬フリーズした。東電の賠償責任を否定するニュアンスとの記事内容を確認して、ああそれなら批判されるのは当然と思ったが、それでもちょっと釈然としない気持ちが残った。
311の直後にアメリカで、保守派の大物トークショーホストのグレン・ベックが「日本の地震は神の仕業」と発言して炎上したのを思い出したからだ。
ベックはロサンゼルス・タイムズなどのメディアから批判を受け、弁明して発言を撤回した。批判されたのは、地震と津波は「罪を悔い改めない人々に神が下した罰」というニュアンスにしか聞こえないからだろう。石原慎太郎都知事が「天罰」と言って批判を浴び、謝罪したのと同じだ。
キリスト教世界で「神の仕業」が一般にそういう意味で使われているとすると、与謝野氏の発言はどう読むことができるか。ウィキペディアなどによると、与謝野氏はカソリック教徒とされる。ひょっとすると「福島第一原発の事故は、己の技術力を妄信し、安全を過信したせいで大きな被害をもたらした人々(被害を受けた人々ではなく)に天が下した罰」という意味で言ったのか、と私は一瞬思った。
報道を見るかぎり発言はそうした意図ではなく、人知を超えた不可抗力の災害であるという趣旨であるらしい。 だとすれば、原発被災者に対してあまりに無責任だろう。事故原因の公式な検証すら行われていない段階で、人為的なミスの可能性を閣僚がいきなり排除するというのは乱暴すぎる。
それはそれとして、では「神の仕業」とは何なのかという疑問は今でも残る。津波や地震の対策については、想定外だったという説明がたびたび批判されている。では、どれほどの基準の対策を施せば、それ以上は想定外の「神の仕業」と認定されうるのか。
5月23日に行われた参院行政監視委員会で、参考人で呼ばれたソフトバンクの孫正義社長が「2万4000年の中には1000年が24回くるわけですから、1000年に1回を想定外とはそもそも言ってはならないことだった」と言った。会場には笑いが起きたが、笑い事ではないと思った。本気でそんなリスクまで想定するべきと言うのだろうか。
地震と津波は神の力によるものではない。福島の原発事故も人災であって神の仕業ではない。1000年に1回のカタストロフも想定して備えたほうがリスクは減らせる。それぞれその通りなのだが、自然の摂理や巨大な力における「神」の介在をそこまで否定する以上は、その事実や科学技術の限界にもっと真摯に向き合う覚悟がいるのではないかとも思う。
イギリスのスティーブン・ホーキング博士が先週、新聞のインタビューで「天国は暗闇を恐れる人間のための架空の世界」と語ってニュースになった。キリスト教社会でそこまで言い切ってしまうのは相当に勇気がいる。
そのように無神論的な立場に傾くのは、宇宙物理学の世界ならではなのかもしれない。いずれにしても、神の意思が働いているかいないかを都合よく使い分けたり、天国に行くか地獄に堕ちるかを心配する人間には耳の痛い話ではあるなと思った。