最初の地震から1カ月近く経ちましたが、何となく身の置きどころのない感覚がずっと続いています。それは、震災後に起きたもろもろを主にツイッターを通じて眺めてきたことと無縁でないような気がします。
震災後のツイッターとメディアの個人的な印象を端的に言うと、いちばんバカなことを言っている人と、いちばんまともなことを言っている人はツイッターにいる。という感じです。
3月11日の地震が起きた瞬間は、羽田空港第2ターミナルのサテライトにいました。午後3時発の福岡便に搭乗するのにゲートに並ぼうとした時、床が強くグラインドした。驚いたのは地震の強さではなく、揺れがいっこうに収まらないことでした。東京では経験がないタイプの地震でした。当然ながら飛行機は飛ばず、それから2時間ほどターミナルの待合席でパソコンを開いてツイッターをしていました。他にやることがなかった。
ツイッターを本格的に使い始めたのは地震の数週間前でした。月刊誌と週刊誌の編集の仕事を合わせて20年以上やりましたが、それゆえか新しいメディアをろくに理解できていない気がしています。使ってみないとわからないし、どんなものかな、くらいの軽い気持ち。地震の直前もターミナルの食堂で「ソルロンタンおいしい」とか「コーン茶もうまい」とか、お気楽につぶやいていました。1時間後に何が起きるかなど想像もせずに。
地震の直後から携帯電話もメールもすぐに断線しましたが、なぜか無線LAN(ワイマックス)とツイッターは何のストレスも生じませんでした。地震などなかったかのように正気を保つ2つの通信インフラと、そこに怒濤のように流れ込んでくる被災情報や人々の不安、パニック、冷静さを示すつぶやきのコントラストがシュールでした。テレビでもラジオでもないのに、画面の中でリアルタイムで状況が動いていた。
出張は中止になり、欠航便に乗るはずだった人であふれ返るターミナルを出て車に飛び乗りました。都心に近づくほど道が渋滞するのは予想できたので、ひたすら海沿いの工場地帯の道路を抜けて家の方角をめざしました。品川を過ぎたあたりで完全に動かなくなったので観念し、車を降りてあとは2時間ほど歩きました。空港から家に着くまでの間ずっとiPhoneでツイッターのタイムラインを追い、自分でもつぶやき続けました。偶然が重なり、結果として「311」をツイッターで目撃し、体験しました。
歴史的なニュースがあった時はいつもそうしてきたように、それからの毎日は新聞を2〜3紙ほど流し読みし、家では時間がある限りテレビを見て、たまにラジオを聞き、ネットでは主に海外メディアの報道を広く浅くチェックしました。今までと違ったのは、ツイッターをメインのチャネルの1つとして使ったことでした。
災害時の情報インフラとしてのツイッターの強さに関しては、いろいろな方が述べておられる通りと思います。安否確認や避難状況、救援要請などの段階を過ぎるとツイッターは放射性物質や危機管理、復興などが論じられる場へ姿を変えていきましたが、雑誌やテレビの仕事をしてきた人間から見ると、そこは従来のネット掲示板とも異なるユニークで不思議な空間でした。
デマっぽい事実も事実っぽいデマも、酔っ払いの正しい意見も文化人の意味不明な愚痴も、うなづきたくなる暴言も唾棄すべき名言もどきも、何らの分類もされないまま流れていき、「ふげー」とか「はらへったー」とかの合間で数時間のうちに同調圧力が膨張したりする。一方で、多少なりとも物事をきちんと考えて、自分自身で意思決定しようと努める人には、ツイッターは情報リテラシー(バカを見抜く力)を刺激して鍛えてくれるように感じました。
震災直後のタイムラインには、特殊なムードゆえの感情の揺れは差し引いても、思考停止としか思えない発言がしばしば無防備に現れました。
中学生のタレントがブログに綴った冗長で何の変哲もない原発批判の文章を、メジャーな文学賞も受賞している作家が「地震発生以来もっとも知的な文章」と評したり、「息子よ。」というタイトルも内容も無用に感傷的なエントリを、批評やコメントで飯を食べている人たちが手放しで褒めたり。ネット的な言辞への免疫が乏しいのか、ヒューマニズムをまとったテクストが目の前に現れると我を失って涙腺をゆるませる。そうした浮き足立ちぶりに、こういう状況においてこそそうした人々が冷静な視座を提供してくれるものと思っていた私は不安を覚えずにいられませんでした。
ツイートの拡散が、アジテーションの機能を内包していることへの意識も希薄なように見えました。「自粛はおかしい」というのは地震後1週間くらいは説得力をもっていましたが、集団でそれを言い出すと無言で自粛を強いるのと同じベクトルになりかねない。それを多くの人が自制もとがめもしないのは不思議でした。
江戸時代じゃあるまいし、花見「禁止令」など都知事は出していないのにマスコミの短絡的な記事表現に煽られて反発し、だったら意地でも花見をしてやる公園集合!とか呼びかけたりするのも理解に苦しみます。同調に同調で打ち返してどうするのかと。
アエラの表紙の件もそうですね。見た瞬間に「この状況でこれはないだろう…」と思いましたし、ツイッターで沸き上がった批判のほとんどは的を射たものだったと思います。しかし積み重なっていく批判そのものが同調圧力となって、雑誌そのものや新聞社への憎悪にも転化していくのは寒気がしました。
同じ週で、対照的にポジティブなメッセージを打ち出した週刊ポストがその対比として称賛され、翌週以降になったら今度は科学性や客観性に立脚しなくてはいけない経済誌までもが「がんばれ日本」のようなカバーワーズをつけてきた。付和雷同もいいところと感じました。
とりわけ、新聞・テレビ・雑誌などと比べてツイッターで目立ったのが二項対立や二元論です。科学は黒か白かでは断じられないという前提が無視され、「原子力」と「原子力発電」と「原子力発電所」がごちゃまぜに論じられた。絶対的な根拠もないのにひたすら安全性を強調する人々がいる一方、客観的なデータではなく恐怖心を煽る言葉で危険を主張する人々がいた。
官邸や東京電力や原子力安全保安院の姿勢や対応に不信と怒りをいだくのは当然と思いますが、それはジャーナリストやメディアが科学的リテラシーを無視していいという免罪符にはなりません。「御用学者」と批判するならその人物と電力業界などの関係性ではなく、学者が言っていること(言わないこと)の内容が批判されるように導いてほしい。陰謀論を煽ってどうするのかと。
ただ、これも部分的には受け手の側の情報リテラシー(バカを見抜く力)が関わってくると思います。ツイッターで政府や東電を批判する人の中には、ジャーナリストが提示した客観的な事実をもとに「信用できない」と自分で判断するのではなく、「ウソをついている」と特定のジャーナリストが言っているからという理由で強い疑念をもつ人が相当数いるように感じられました。
新聞を批判している人が、外国メディアの報道から「首相を酷評」「東電を批判」の部分だけ抽出した新聞の手抜き記事を論拠に政府や東電を批判していることもあった。自分の頭で考えていない。それがデマゴーグの拡散や不毛な二項対立を増幅させた面もあると思います。
そうしたものの背景にあるのは「わからない」ことへの恐怖と思います。犯罪でも国際情勢でも景気の見通しでも、原因、実状、可否、可能性、展望、どちらが正しいかなどが「わからない」と対策の立てようがありません。だから無理矢理にでも答えを得ようというプレッシャーが働く。
テレビのニュースショーは材料がゼロに等しいときでも殺傷事件の動機を探ろうとするし、「わからない」ことが大衆や交渉国への心理的な武器になることを理解している独裁国家は内情を秘密にしようとする。そうした「わからなさ」が許容され不安が克服されないと、震災があろうとなかろうとツイッターによって増幅され伝播する二項対立やデマゴーグは減らないのではないかと思います。
ソーシャルメディアとマスメディアを補完的な関係と位置づける見方もありますが、それがメカニズムとしてうまく機能するかどうかは判断がつきません。マスは不特定多数を対象とするので、こういう状況で何かを訴えようとすると啓蒙色が濃くなりがちになる。
例のACが急遽作ったCFで「電灯はこまめに消そう」「むだな電話やメールはやめよう」とかやたら説教くさくて、何度も繰り返されると、余計なお世話だなと。あちこちで「がんばろう日本」的なキャンペーンが展開されていますが、これも「日本」「ニッポン」が具体的に誰を指しているかがあいまいで、あまり連呼されると白けてくる。
「今、わたしたちにできること」というのも、あなたに今すぐできることが何かあるはずでしょ? という強要のニュアンスが微妙にあります。こういう震災では救援から復旧、復興への何段階ものステージで必要とされる人や組織のタイプが異なるはずで、「今できることはほとんどないけど、後できっと必要になる」人や組織には、むしろ今はパワーや資本を蓄えておいてもらったほうが被災者の利益になる。
「がんばろう日本」も「今できること」もそれ自体は間違っていないけど、そこで見落としかねないもの、見失われかねないものを気づかせてくれたり、異論の存在の許容を促すような役割がツイッターのようなソーシャルメディアには期待されているのではないかと思います。
実際、専門家でもない人々が原発について安全だの危険だのと語る不条理さなどは、ツイッターではかなり早い段階から指摘されていました。一定のノイズをノイズとして割り切れば、問題の本質を突くコメントの多様さ、飛び交うスピード、視点の幅などは既存のメディアと比べようもありません。
それゆえに「いちばんバカなことを言ってる人」と「いちばんまともなことを言ってる人」がツイッターにだけいるように感じたのですが、それは半面、ツイッター(とネット論壇的なもの)の外にいる人との断層というか、距離をどうするのかという問題があるように感じました。
震災から10日くらい経ったころ、東電の周辺にいる関係者の知人から、福島第二原発の対策本部で働く東電社員が会社幹部に送ったというメールが転送されてきましたた。関係者に了解と確認をとった上でそれをそのまま自分のツイートで流したのですが、同じメールを新聞が記事として報じるまで1日半くらいかかった。ツイッターでは、無数の情報がマスコミと別のタイムフレームで回遊しているのかと想像しました。
テレビと新聞と口コミだけで震災に関する情報を得ている人と話していると、ツイッターで盛んに話題になったデマゴーグや誤った情報のことを知らなかったりします。
地震当日の千葉の製油所のタンク爆発の誤情報はチェーンメールなどで広まりましたが、その後ツイッターやネットで話題になった種々のデマや誤情報については、テレビや新聞だけ見ている人は結果的に遠ざけられたままでいられた。情報のタイムラグやこうした違いはどちらがいいか悪いか単純に規定できないかもしれませんが、この狭間をどうつなぐかが担保されないと補完関係というのは機能しない気がします。
ツイッターについては、どういうグループに属する人をフォローするか(フォローしないか)によってタイムラインの様相はいかようにも、即座に変わるので総体としてくくるのはとても難しいですが、震災をめぐる情報の流れやメディアとの関係などについて、今はそのように感じています。<<<<<
いつもツイッター拝見しています。
ありきたりではない視点で情報を読み解き
簡単に人の意見には乗らないぞという感じの
竹田さんの(いい意味で)天邪鬼なところが好きです。
大災害という状況によることは悲しむべきところですが
竹田さんのツイート頻度が一気に増えて
私としては少し嬉しく思っていたりします。
私も今回の地震ではツイッターをメインの情報源としていました。
映像で見る津波の恐ろしさなどは
やはりテレビに頼るところが大きいのですが
専門家から素人まで色んな人から発信される情報が
ない交ぜに飛び込んでくるツイッターは
まさにリアルタイムを実感するツールでした。
多くの人が関心を持つ話題以外にも
いま知るべきことや
常に考えておくべきことを
提示して下さる竹田さんのツイートは
私のタイムラインで大きな軸となっています。
ときどき無遠慮なリプライを飛ばして失礼しておりますが
敬愛するが故のこととお許しください。
投稿情報: Sakuramochi925 | 2011/04/04 10:40
初めまして。いつもテレビで拝見させて頂いていて、感じの良い方だと思っておりましたが、今回の非常事態でも、変わらないで、ひょうひょうとした、冷静で、ほんのり暖かくて、笑えるツイッターのつぶやきに、どんなに気持ちが落ち着いたか知れません。どうしても一言伝えたくてこちらにコメントさせて頂きました。くれぐれもお身体だいじに良いお仕事続けてくださいませ。失礼致しました。
投稿情報: Namirone | 2011/04/12 15:37
仙台市の三浦(63才)と申します。
私はTVや雑誌等で竹田圭吾氏をよく拝見しており、発言した内容にいつも勉強させられていました。
しかし本日、ツイッターで竹田氏が松本前復興相を擁護している内容を見て驚きました。私はニュースで松本前復興相の態度と言動にとても許しがたい気持ちになったのですが、あの常識ある竹田氏が擁護するとはと。
竹田氏のコメントを読んでみると、ある局面だけを見て大騒ぎするマスコミに対する指摘は理解できます。
しかし、「上から目線で言葉遣いも態度も横柄でマスコミを脅すけど復興の問題点を理解していて対策をテキパキやる大臣と、礼儀正しくて温かみがあって人格も品性も立派だけど復興を理解してなくて対策がもたつく大臣だったら、前者のほうがいいけどな」というコメントには首をかしげました。何故なら、その比較はとてもおかしいです。態度が横柄な大臣が対策をテキパキやるとは思えませんし、仮にテキパキやったとしてもそれはかなり自分勝手な判断でしょう。人の意見に真摯に耳を傾けない大臣が国民のためのいい判断が出来るとは思えないです。
多分、竹田氏は最近のマスコミに異議を唱えたいのかもしれません。しかし、今回の松本復興相の態度はマスコミではなく、私達一般の市民が見て許しがたいものでした。
普段の松本復興相はとてもいい人だという意見にも首を傾げます。いい人があんな態度や言動は決してしません。松本復興相はもともとあのような兄貴風をふかせていい気持ちになる部分を持っていたのでしょう。そんな人間が被災地の弱者の気持ちを本当に分かる謙虚さがあるとは思えません。
今回は竹田氏の真意を計りかねています。
松本氏が復興の実務で不適格だったらどうしようもないけど。」。防災担当大臣として何一つ仕事できなかったという事実を知らないくせに、意味不明な擁護をするな。そもそも、国の方が偉いという態度をとり、「知恵を出さなきゃ何もしてやらない」と言う男が、まともな震災復興に取り組めるはずがなかろう。「クズ発言しているから大臣として不適格」ではなく、「不適格な無能だからクズ発言をした」とみんな思っているのだ。
「お行儀がいい人が好きな人が多いなあ。まあ、形から入るのが大事なのは事実だろうけど。数十行の記事と1分半の映像で政治家を全否定するほどには新聞もテレビも信用していない僕が変なのか。」とも発言しているが、誰も「形式的な部分」「表面上の部分」に対して腹を立てているのではない。表に現れた部分に内面がにじみ出ているから、批判しているのだ。竹田氏の擁護は、物事を斜に構えて見ようとして、かえって何も見えなくなっているようにしか思えない。
投稿情報: 菊地 | 2011/07/06 02:42
仙台市の三浦(63才)と申します。先ほどの投稿の後ろに他人のコメントのコピーが載ってしまいました。失礼しました。以下訂正です。
私はTVや雑誌等で竹田圭吾氏をよく拝見しており、発言した内容にいつも勉強させられていました。
しかし本日、ツイッターで竹田氏が松本前復興相を擁護している内容を見て驚きました。私はニュースで松本前復興相の態度と言動にとても許しがたい気持ちになったのですが、あの常識ある竹田氏が擁護するとはと。
竹田氏のコメントを読んでみると、ある局面だけを見て大騒ぎするマスコミに対する指摘は理解できます。
しかし、「上から目線で言葉遣いも態度も横柄でマスコミを脅すけど復興の問題点を理解していて対策をテキパキやる大臣と、礼儀正しくて温かみがあって人格も品性も立派だけど復興を理解してなくて対策がもたつく大臣だったら、前者のほうがいいけどな」というコメントには首をかしげました。何故なら、その比較はとてもおかしいです。態度が横柄な大臣が対策をテキパキやるとは思えませんし、仮にテキパキやったとしてもそれはかなり自分勝手な判断でしょう。人の意見に真摯に耳を傾けない大臣が国民のためのいい判断が出来るとは思えないです。
多分、竹田氏は最近のマスコミに異議を唱えたいのかもしれません。しかし、今回の松本復興相の態度はマスコミではなく、私達一般の市民が見て許しがたいものでした。
普段の松本復興相はとてもいい人だという意見にも首を傾げます。いい人があんな態度や言動は決してしません。松本復興相はもともとあのような兄貴風をふかせていい気持ちになる部分を持っていたのでしょう。そんな人間が被災地の弱者の気持ちを本当に分かる謙虚さがあるとは思えません。
今回は竹田氏の真意を計りかねています。
投稿情報: 菊地 | 2011/07/06 02:47
中央区築地在住、二児の母です。
教育委員会の議事録で、竹田さんの活躍を拝見し、感激しました。
中央区議会および教育委員会を相手取り、
孤軍奮闘なさっているようにお見受けしました。
一方、保護者たちは
「原発の話をするのはモンスターペアレンツ」という
マスコミ主導?の同調圧力にからめとられて、何も言えないでいる状況です。
核汚染発覚後、牛乳を飲まなくしたお子さんが、、「ずるい」「飲め」といじめられています。区内で起きている話です。
社会的に信頼のある竹田さんが、行政に対して、強く働きかけをしてくださっているのを
本当にありがたく思っています。
ぜひ、給食に関しても、安全への配慮を促していただきたいと思います。
今野弘美区議(福島出身)が、検査しているから流通しているものは規制値以下、
福島産食品を学校給食に積極的に使いたいと文化教育委員会で公言なさったのはご存知でしょうか。絶望しました。
中央区自民党は、高齢の自営業者が票田であるために
、子供を守るというスタンスでは、議席が取れないと考えているのでしょう、
これは子育て世代の選挙離れが招いたことであり、自業自得と言えばそれまでですが…
給食の安全が担保されれば、区内の経済も活性化するはずなので、
その辺をアピールする機会があればいいなあと考えています。
投稿情報: Babai Babamoto | 2011/09/09 01:35
Mr.サンデー」11日は、特集よかった。後の 鉢路経産省大臣自任に関し、NEWSWEEK竹田圭吾編集長の 何の第三者的客観的な根拠、証拠なく 個人的印象述べ 擁護とも思える発言。落胆‼ジャーナリスト失格と感じた。バルザック「シャーナリズム性悪説」読んだことある?貴方に裏切られた 一時の感情や個人的思い入れで 公で発言 まぁCX程度のど 素人・問題意識ない人間に対してじゃ、じゃしょうがないが、いい加減知識人気取りやめてください。日本版は、もう読みません。鉢路経産省大臣 よく知っていますと、いいつつ 権力に 擦り寄っている? いくらか?もらいましたか?と疑念湧く時代です。脇 甘い!
投稿情報: Pachin253 | 2011/09/12 17:36