震災を機に、雑誌ジャーナリズム的なものについて考えることが多い。普段あまり読まない雑誌まで目を通してみると、いろんな雑誌がそれぞれなりに気合を入れていたり、ひねくれた角度から突っ込みを入れていて興味深い。とりあえず何冊かについて。
◎FLASH(フラッシュ)
5月3日号。表紙のルーフは「避難所の食事を全記録 福島の避難女子高生が写メで撮ってた8日間の全メニュー」。何の意味があるのかないのかはさておいて、1)写真で見せる、2)のぞき見主義から入る、という写真週刊誌ならではの切り口ではある。
記事で紹介されている献立はと言えば、甘口カレー、たぬきうどん、サバ塩焼き、ホワイトシチュー、天ぷらに、野菜もフルーツもたっぷり。こんな悲惨で…という読者の展開予想をしれっと裏切り、管理栄養士さんの「問題ありません。この非常下で食料を調達している方々に頭が下がります」のコメント。
でも、こういうほうがリアルでよい。現実にはもっと厳しい内容の避難所がずっと多いことは記事でもきちんと注記しているし、ステレオタイプなイメージをとりあえず打ち消して「避難所ごとに状況は千差万別」という事実を読み手の頭に刻んでくれるからだ。
今では写真誌くらいしかやらなくなった袋とじの「切り離せるハンドBOOK サバイバル超実践術!!」も野心的。テーマ自体はありふれているが、これを「ゴルゴ13」の巨匠さいとう・たかおの旧作マンガをモチーフに解説する。「ユリ科はいいがキノコは要注意!」とか「虫はよく火を通し肉はミディアムで」とか中見出しがツボを心得ている。大地震の時は竹林に逃げ込むといい、竹の根は非常に強く地下いっぱいに張っていて地割れの心配が少ないから――など元フランス外人部隊・柘植久慶氏のプチ解説も「へえー」感満点。
軽い読み物は「東京電力はこうして生まれた!」。ありきたりな企業史ではなく、どちらかというと電力史とか電化の歴史。1890年浅草の凌雲閣に作られた日本初のエレベーターに電力供給し庶民に電気への驚きが広まったとか、1907年上野公園のイルミネーションに仰天した夏目漱石がその事を『虞美人草』に書いたとかのミニ知識のほか、戦後GHQとのやり取りを経て10地域10電力会社体制が生まれ、発電と送電の分離が葬られ独占が固まった話まで硬軟幅広い。
「福島より危ない!もんじゅ「暴発」寸前」は「維持費1日5500万円」の高速増殖炉の仕組みや「自殺者も出た黒歴史」を詳しく解説。「迷子の被災犬 私のご主人どこだワン!」の見開きカラーグラビアは、大熊町で大阪のNGOに保護されたメスの柴犬サクラ(仮名)がやさしく涙を誘う。総じて思いつき(いい意味で)の企画が雑誌全体にバランスよくちりばめられている。
◎週刊現代
4月30日号。総合週刊誌はそれぞれ個性があるが、王道の松花堂弁当のような週刊文春に比べると、週刊現代はファミレスのような感じ。震災直後の号にもそれは表れていた。週刊ポストが「がんばろうニッポン」的なメッセージ性を前面に出していたのに対し、現代はひたすら現場主義。遺体も隠さぬグラビアや津波被災地の道なき道を行くルポ。和洋中あらゆるメニューを取り揃え、「事実をもって語らしめる」に徹していて潔い。
この号でもそのスタイルは踏襲されている。表紙にこそ「浜岡原発まるでフクシマ」「原発列島ニッポンの恐怖」「津波肺に気をつけて」とやや煽り系のコピーが並ぶが、中では一つ一つのトピックを淡々と料理していく。「原発列島」も表紙でも中でも「私たちはどこで間違えたのか」とサブにつけていて、ひたすら政治と電力会社の責任を追及する一部の批判派よりよほど落ち着いている。
記事もストレート。安全・保安院職員の告白「再臨界はないがその次の最悪が防げるかはわからない」や、原子力学会元会長らが懺悔「安全だと言い続けた私たちが間違っていた」などなど。
原発ムラのある重鎮は、福島第一の津波被害をテレビで見て「こんなのは想定外だ」と漏らしたら、そばにいた夫人に「想定外なんて言葉は、そんなことも考えていなかった自分がバカでしたと言ってるだけじゃないの」と言われ、責任を痛感したと。建言書を出した16人メンバーの1人(69歳)は「被曝して発ガンリスクがあがっても実際に発症するのは20年先とかで、若い者には行かせられないので自分たちが福島に行く」と語っている。
ほかに、自民党政権時代から国の原子力政策を一貫して批判してきた河野太郎衆院議員の「原発反対の私が受けた嫌がらせの数々」など。雑誌全体として週刊誌にしては批判的なトーンに欠けるが、それがこの雑誌のいいところでもあると思う。思考停止にさせず、「つまり誰が悪いのか、何が原因なのか」を読み手自身が考えるよう促してくれるので。
この号でユニークだったのはモノクログラビアの「廃炉——原発解体の絶望的現実」。リトアニア、ドイツ、米国などの写真を交えて原子炉廃炉のテクニカルな困難さや放射性廃棄物の厄介さをわかりやすく説いている。ちなみに某コミック誌の某専務(元課長)が某高速増殖炉にご執心だった過去については、雑誌のどこにもとくに言及はない。
◎Voice(ボイス)
5月号。総力特集「甦れ、強い国・日本 未曾有の国難を乗り越えよ」。こういう月刊総合誌を読む醍醐味は、下世話なニュースから離れて大局的に物事を考えさせてくれる点である。だから震災に寄せた「自然の法則と日本人」との論考で、養老孟司先生が「なにゆえに中東の石油が日本の生命線になってしまうのか。それが変だと思わないのか」と、四次元の後出しジャンケンみたいなことを書いているのもご愛嬌だ。
特集のトップは、近著「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」で知られる旧皇族で慶応大講師の竹田恒泰氏。日本人の礼儀正しさを称賛した世界の反応を細かく記した後、90万人以上の餓死者を出したとされる天明の大飢饉の際に江戸時代の民衆が御所を囲んで祈りを捧げた故事を紹介。「幕府に愛想を尽かした民衆は、政治の舞台から遠ざかっていた天皇を拝むことで事態が好転すると考えた」「君民一体となった日本人の姿は現在も変わるところがない。日本人が最後に頼るのは「天皇」をおいてほかにない」と結ぶ。そうなのだろうか。
他には堺屋太一氏、自衛隊イラク先遣隊長で参院議員の佐藤正久氏など。佐藤氏の記事によると、自衛隊が使うスコップの先端はグラインダーで研いであるという。「土砂災害では土砂が水を含んで重たいが、先端を研いでおけば刺さり具合が全然違い、腕に対する負担も軽減できるから」と。へえー。
特集以外では都市経済学者のリチャード・フロリダ氏が、危機からこそ新しい成長やイノベーションが生まれるとする「グレート・リセット」論について語っていて、復興を考える上でなかなか示唆に富む。が、この号の最大の読みどころは「原発事故から雄々しく立ち上がれ」というタイトルの田原総一郎氏の記事だ。
内容は震災と原発事故の総括で、これを「第二の敗戦」とくくる。そこまではいいのだが、では「第一の敗戦」から日本はどう立ち上がったかという参考例として、田原さんはかつて取材した1960年代の鉄鋼業界の話を持ち出すのである。
これが凄い。内部事情に精通した老鉄鋼マンが言うには「日本の経営者たちはムチャクチャなことをやって鉄鋼業を甦らせた」。世銀から融資を引き出すために自己資本比率を粉飾したり、世銀の検査官とは祇園でドンチャン騒ぎをし、骨董好きの世銀総裁が訪日したときはカバンを一杯にして通関なしで出国させたり。
要するに、復興のためなら手段は選ぶなと言わんばかりなのだが、きれいごとを言われるよりは説得力がある。「私たちの先輩は、夢も希望もないゼロ地点から、多くの戦勝国を抜いてアメリカに次ぐ経済大国に、この日本を育て上げたのである」。だから今の日本人も、という田原氏のメッセージなのだろう。
◎中央公論
5月号。老舗の論壇誌らしく、さまざまな政治的・思想的スタンスに立つ人々のオピニオンを幅広く集めて特集を組んでいて読み応えがある。復興構想会議の議長代理に就任した御厨貴・東大教授が「「3・11」の特徴とは何か。それは…人智を超えたところで、人類とその文明に対する警告の意味があったととらえることができる」と書いていて、微妙に物議を醸した号である。
ただし件の文が出てくる御厨氏の寄稿は、後藤新平による帝都復興からひも解き、阪神後の復興委員会、名古屋の100メートル道路、戦後の新宗教、韓国・中国との関係性からツイッターにまで触れるという野放図ながら、「災後」という状況設定の空気感と政治的な課題はつかめるエッセイになっており、別にセンセーショナルなものではない。
むしろ印象的なのは、御厨氏が結びでも「3・11からの復興はいわば神から与えられた課題であ」ると「天災からの復興」を基点としているのと対照的に、内田樹氏がこの震災を特徴づけるものとして原発の「人災」としての側面を徹底的に指弾していることだ。
政治家やビジネスマンが安全性を過大評価するのは、知性や倫理性とは関係ない職業上の必然であり、高リスクのテクノロジーの管理運営を任せるべきでないと、内田氏は説く。「北極のシロクマ」のために原発に切り替えると、今度は日本人が放射性物質の被曝を恐れねばならないリスクが発生することを「温暖化キャンペーン」の人たちは誰もアナウンスしなかった、とも。
原発事故はある意味で「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」の産物である、とも内田氏は言う。日本のエリートは自己の判断と責任で「今できるベスト」を選択することを嫌い、論拠と言い訳が整わないと動かない。一方で組織内労働者は「ほうれんそう」抜きで事を決してはならないと叩き込まれている、と。こうした深みのある論考は、即時性を重視するテレビや新聞ではなかなか得られない。
内田氏が福島第一原発の非常用電源の設計プランがいかに非常識かにも触れていて、これは今回の原発事故の究極の問題点と私も思うが、これについては原子力に詳しい技術評論家の桜井淳氏の詳しい分析記事も載っている。とりわけ、1979年にアメリカの研究報告で非常時電源の問題点についてすでに指摘されているというのは驚きだった。本当に何も学んでいない。
◎週刊SPA!
4月26日号。今やデマまがいの情報とか陰謀論的なものはネットの独擅場だが、ひと昔前まではニュースの傍流を彩るそうした話はもっぱら週刊誌の守備領域だった。
そういうウソっぽい話は90%以上がデタラメでも「一面の真実」が含まれていたり、トンデモ的な説に引っ張られることで考える幅を広げてくれたりする。とりわけ宗教がらみや諸種の差別問題、スポンサー方面など新聞・テレビが触れたがらないトピックに関しては、週刊誌が頑張らないと視点の多様性が担保されないところがある。
で、この号のSPA!。勝谷誠彦氏が震災直後の天皇陛下の言葉を「平成の玉音放送だ」と書く巻頭コラムからページを10回繰っただけで、今度はベンジャミン・フルフォード氏が登場。「米仏『闇の支配者』の日本乗っ取り計画」との記事でビルダーバーグ会議やスエズ社、ベクテル社など「陰謀論」の代表銘柄を挙げて「原発処理で来日した米仏の面々を見て私は見切った!」と吠える。田中康夫氏、坪内祐三氏&福田和也氏などお馴染みの面々も登場。
つまり相変わらずというか期待通りのカオス状態なのだが、これだけメディアが多様化した状況で、このサブカルB級的なねじれ感がどれだけ訴求性をもつのかはわからない。
SPA!は「きれいごとしか言わない」大手新聞・テレビや、反権力反体制を標榜しながら自らをそれらのカウンターパートとすることで別な権威になっている老舗週刊誌などのオルタナティブに存在意義を求めてきた。そうしたものへのニーズはおおむねネットが応えるようになった中で、相対的にとんがった部分が失われた印象はある。
この号に「脱・情弱マニュアル」という小特集があるが、そこで「情強」への道とやらを解説しているのが佐々木俊尚氏、山本一郎氏、中川淳一郎氏といった面々。連載コラムで斉藤和義さんの反原発ソング騒動を論じているのがひろゆき氏。震災報道「アテになるメディア」判定会議という記事でコメントしているのが津田大介氏。全体としてネットの下請けに回り、30代以上の「情弱さん」たちのエントランス化しているうらぶれ感は否めない。
南相馬市に乗り込んだ神足裕司氏のオンシーンコラムは相変わらずカミソリのように冴えているし、災害ロボットやポータブル発電機のカタログ的解説は雑学欲を満たしてくれるし、ホットパンツ居酒屋というものの存在は知らなかったのでこれだけでも勉強になったし、総じて1冊380円の価値はあると思う。
◎RollingStone(ローリングストーン日本版)
5&6月号。社会的に超インパクトのある事件が起きたとき、普段はそうしたニュースと縁のない専門誌には選択肢が2つある。正面から扱うか、一切ふれないか。どちらを選ぶかはその雑誌、その編集長のスタイルやポリシーの問題であり、どちらが正しいとか誤りとかというのはない。この雑誌は、1冊の3分の1を超えるページを震災の特集に割いた。
特集は「アーティストからのメッセージ」。左ページにミュージシャンのポートレート、右ページに直筆のメッセージをレイアウトした見開きが延々と続く。登場順にBeady Eye、ボニー・ピンク、ボノ、矢沢永吉、エルトン・ジョン、エルヴィス・コステロ、Heart、ジェフ・ブリッジス、キース・リチャーズ、オジー・オズボーン、ポール・サイモン、レミオロメン、ショーン・レノン、細美武士、Zebrahead。
「肉筆」というのがミソ、なのだろう。確かに文言そのものはシンプルでも、活字の無機質とは違い、思いのようなものがリアルに伝わってくる。キース・リチャーズやコステロのように2〜3行の短いものもあれば、ボノやHeartのように100ワーズを超えるものもあり、アーティストごとの個性も感じられて温かい。
毎号読んでいる読者からすれば、こんなにページを割いてこういう特集を組んだことへの不満もあるかもしれない。作り手としては、ロックやポップカルチャーという、時代性を抜きにして語り得ない領域の雑誌であればこそ、という判断かもしれない。